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◆メモリアル・ソウルヒーリング◆ (亡母の魂との対話)愛するお母さんありがとう!

                                   2009年4月8日  福岡市 久住 美花さん (女性・38歳 )

★ 友人の紹介で、美樹先生のチャネリングを受けた時...お母さんへの囚われが強い!」と指摘されました。
母は、去年亡くなったばかり・・・。

 母の人生は病気の連続で、私を妊娠した時も、「体の負担を考えておろすように」・・・と言われたそうです。
周囲の反対を押し切って、薬を止めてまで私を産んでくれた。その後も 「入院→手術→退院」 の繰り返しで、
体中手術痕だらけで、不自由な体になってしまいましたdespair
 そんな母を、父は40年間、献身的に介護してきました。男の子を期待されて生まれた私は、姉に続き 「 女の子 」。
やんちゃで、出来のいい姉といつも比べられて、コンプレックスだらけでした。
 「私を産んだせいで、お母さんの病気がひどくなった。」という罪悪感がありながら、
自分を認めてほしくて反発ばかりしていました。


 私が母の面倒をみたのは、" 最後の5~7年 "だけ。 
特に亡くなる前の半年は、これまでの償いを込めて、全てが " 母中心" の生活でした。
それは、母にとことん尽くすことができた <最高の時shine> 。
母が亡くなった時、「十分やりとげた満足感」があり、スッキリしているつもりでした。 shine 

 だから、美樹先生に 「 お母さんに囚われている。 ...と言われた時は、意外でした。

でも、考えてみると...、私の人生はずっと母中心だったような気がします。
母が亡くなった後、「次に何を頑張ればいいのか?」...よくわからない自分がいたからです。  

 亡くなった人の魂と対話ができる ≪ メモリアル・ヒーリング≫ の話を聞いて、「ぜひ、受けたい!と思いました。
「生前、母に聞きそびれたことを聞きたいし、たくさん謝りたい!産んでくれたお礼も言いたい!
母の62年の人生が、幸せだったのかも知りたい!」
...と思い、一週間後に予約しました。heart02        

≪メモリアル・ヒーリング当日≫
母と対話できるチャンスを与えて頂いた幸せ、楽しみを胸いっぱいに、その日を迎えました。
「 お母さんの好物を用意してくるように。 」・・・と言われていたので何日も前から、
出来るだけ美味しい物を探して準備しました。( カニ、お寿司、いちご、高級みかんのせとかetc....。)
机いっぱいに並んだ母の好物を見て、 川上先生 と美樹先生は感心していました。(笑)
 
 メモリアル・ヒーリングが始まりました。 「 本当に母と対話できるのか? 」・・・と半信半疑な気持ちもありましたが、
そんな不安はすぐに吹き飛び、「 ここに、お母さんの魂が来てくれているsign01 と実感できました。
 何故なら、美樹先生が知るはずもない情報が 「母からのメッセージ」として、次々と自動書記されていったからです!
その内容も言い方も、"母らしい"というか "母そのもの!" で、嬉しくてつい笑い出してしまいました。happy02 dash
   ↓ ↓
≪メモリアル・ヒーリング内容≫
母の魂の思い...
 安らぎが足りなかった。 「私の為に家族を不幸にしてはいけない。」...と思って、できるだけ我慢して、一生懸命生きてきました。
 ( 母は本当に我慢強い人でした。家族が気付いた時には、すでに限界で、「即、入院→長期入院・治療・手術 」 のパターン。  気づかれないように一人リハビリをする人でした。)

 私が死ぬと、子供たちが悲しむから、長生きして、少しでも母としての役目を果たしたかった。
家族を大切に思う気持ちは、誰にも負けません。愛する家族を守るため、一生懸命つくしてきたつもりです。 
皆に心配かけないで健康に暮らしたかったけれど、気苦労かけてしまって、ごめんなさい。 
具合が悪い時、みんながハラハラ心配するのが伝わって、また心配かけてしまう自分が情けなかった。
 ( 母の病気にどう対処するべきか?・・・家族で話し合いをしました。今思うと、母の顔は落ち込んでいたと思います。
母への配慮が足りなかったことに気づかされました。)
 
 一人で病院にいると、すごく寂しかった。
そんな時、あなたがお見舞いにきてくれて、とても気を使ってくれて励まされた。 
あなたの顔を見ると、安心して、小さな子供みたいに甘えてみたり、わがままを言ってみたりしたものです。
  「 どっちが母親かわからないねー。 」と思っていた。
  お母さんは、皆に愛されて、とても大事にしてもらったし、自分もできる限りのことをしてきたつもり。長くは生きられなかったけれど、悔いはありません。 そのことを、あなたに分かって欲しかったのです
お母さんは幸せでしたよ。 

 苦しいことよりも 「皆で過ごした幸せな時間」 の方が、ずっと思い出に残っています。 
信じ合って、愛のある家庭でした。 その思いを胸に、天国へ行きたいです。
 
   ↓ ↓
母に書いてきた手紙を読む... 
  美花より、お母さんへ・・・。 
  私を無理して産んでくれてありがとう。
   嬉しかった。
  お父さんと3人で色々出かけて、楽しかったね。
  
お母さんが倒れてからの半年間、私なりに頑張ったけど、
  不機嫌な顔をしてしまったこと...今でも後悔しています。

  でも、お姉ちゃんと仲良くなれて良かったです。
  お母さんのおかげで、人に優しくなれました。
  家族の絆を学びました。 
たくさんのことを学びました。

  手術で精神的に参って当然なのに、気丈でいたお母さん。
  患者なのに、先生方や看護婦さんに元気を与えていた...。
  本当に尊敬します。
  私はヘタレだから、お母さんみたいになれるかな? 頑張らなくちゃネ。
  本当に産んでくれてありがとう。
  お母さんの子供で良かったです。

  お母さん、美花のこと愛していましたか?

    ↓ ↓
母の魂からの返事 (美樹先生による自動書記)
 美花のこと愛していました。
私の大切な子・・・。お母さんは、あなたのことが大好きで、自慢の娘なのです。
あなたの気持ちに気付けなくて、ごめんなさい。

 ( 母の好物を アシスタントの美樹先生に食べてもらう。)
 美樹先生の "食べ方・選び方" が母そのものだったので、嬉しくて、ずっと笑っていました。 smile dash
お寿司は、好物のウニとイクラを真っ先に食べたし、一番のお気に入りのカニのボイルは、全部たいらげてくれました。heart01
 美樹先生が、「 お母さんは、本当はカニ鍋が食べたかったみたい。 山盛りいっぱい、一人で食べたかったみたいよ。」...と言ったので驚きました。 母は、昔からその通りのことをよく口にしていたからです。 亡くなる数日前も、「退院したら、お腹いっぱいカニ食べよう!」 と話していたので、美樹先生の体を通して食べてもらえて、嬉しかったです。confidentheart02


 (
お父さんに伝えたいことある?」... と尋ねる。)
 あなたは私にとって最高の夫でした。私みたいに手の掛かる女と 添い遂げてくれて、本当にありがとうございました。
私の命はつきましたが、あなたの幸せを天国よりお祈りしています。
 お父さんが寂しそう・・・。元気ない・・・。それが気掛かりです。 何か趣味でも見つけて、楽しく過ごして欲しい。
ゴルフに行ったり、外で解放的に遊んでください。

   ↓ ↓
川上先生が、「 お母さん、そろそろ天国に行きましょうか?」 と声をかける。
 お父さんが寂しがっているから、もう少し側にいてあげたい。 思い出の写真とか、色々見て、私のことばかり考えています。 お父さんに話しかけてあげて。いつも一人で寂しいのです。
 ( そういえば、実家に帰った時・・・父が "母との思い出のアルバム" を作って、懐かしそうに、嬉しそうに
見せてくれました。気付かなかったけど、父は寂しかったんですね。)

 お父さんにご飯を作ってあげて欲しい。 夜、寂しいのよ お父さんは・・・。
泊まりがけで2~3日行って、美味しいご飯作ってあげてね。
 (母は、父の食事を絶対に手抜きしない人でした。そういえば、実家には日帰りでしか行っておらず、
父と夕飯を共にすることもありませんでした。

 ( 「でも、お姉ちゃんが、週に1回ご飯作りに行ってあげてるよ!」 と答えると・・・。 )
 お姉ちゃんよりあなたの方が、お父さんに優しくできる。 
お姉ちゃんは、今ストレスでいっぱいだから、余裕がないの。

 ( 確かに姉は、嫁ぎ先での苦労や悩みが多くて、父を癒す余裕はなさそうです。
私は父と何でも話しあえる仲。だから、私に行ってほしい・・・とお願いしているのですね。)

 お父さんに お土産買って行ってね。
今日も美味しいお菓子を先生方に買ってきて欲しかったのに・・・。
お母さんのことばかり考えて、「 先生たちの分は?」 って気になりました。帰ったら、先生にお菓子を送ってさしあげてね。
先生、お忙しいのに来ていただいて申し訳ありません。

   ↓ ↓
●川上先生が、「お母さん、あんまり気にしないで下さい」 と話しかける。
 躾ですから、我が家の...。他人の家のお茶を頂くときは、お土産を忘れてはいけません。
 ( そうでした! 母はお礼をとても大切にする人...。
私が学生の頃、友達の家に泊まる時、箱入りメロンとお花を持たされたくらい...。
ここで躾をされるとは思ってもみませんでしたが、嬉しくて、何度も母に謝ってしまいました。smile )

   ↓ ↓
再び、川上先生が、「お母さん、そろそろ天国に行きましょうか?」と尋ねると・・・。
 お父さんに会いたい・・・。 私のために心を痛めて可哀相。
お父さんには、「自分が幸せになること」を考えて欲しい。私のために色々我慢してきたから、
これからは楽しいことを見つけて欲しいです。 「自分だけ幸せになっちゃいけない」...、なんて絶対思わないで。
そういう苦しみはもういらないの。 私が安心するためにも・・・お父さんに明るく趣味に打ち込んでもらいたい。

 仏壇に、「ぼた餅」と「お茶」をお供えしてください。 あんこときな粉の両方・・・。大きいのが好き。
 ( びっくりしました。sweat02 よく家族で食べていた、あんこときな粉の大きなぼた餅があったのです。 
「あんこときな粉、どっちが良い?」と尋ねた時...、すでに美樹先生が、「あんこときな粉、両方!」と 書いていたので、さらに驚きました。
 母は日本茶が大好きだったので、いつも日本茶とお菓子をお供えしていましたが、そういえば、ぼた餅はまだお供えしてなかったなぁ・・・。 )

   ↓ ↓
 川上先生が、 「お母さん、今までどこにいたのですか?」と尋ねる。
 ずっとお父さんの傍にいた。まだ、お父さんが心配だから、傍にいてあげたい。
お父さんが安心したら、天国に行きます。

 川上先生......「では、一旦お父さんのところに戻りましょう。」  
            「そして、少し安心したら天国に行きましょうね。」
             「次は、いつ頃お呼びしたらよろしいですか?」   

 
  お盆を家族と一緒に過ごしたいので、お彼岸頃がいいです。
 川上先生......「では、またお彼岸にお呼びしますね。」  
           「それまで、お父さんのところに行っててくださいね。」


   はい。今日はどうもありがとうございました。 美花ちゃん、お父さんをしっかり頼みます。

★川上先生は、母の魂を再び、実家のお父さんの元へ送り返して下さいました。
母の魂が安心して、今度こそ天国に行ってくれるように 父を癒してあげたい・・・と思います。


 

shineメモリアル・ヒーリング
が終わった感想shine
実家の父に電話をすると、翌朝一番にぼた餅を買い行って、お供えしてくれたそうです。
「父は今でも母が大好きなのだ 」 ・・・と感じました。
週末の3日間・・、早速、泊りがけで実家に帰りました。
すると父は、また母の写真を持ち出して、思い出話を始めました。 
「母は、このことを心配しているのだ」・・・と思い、「父が前向きになれるように、週の何日かは実家に帰ろう。下手ながらも、手料理を作ってあげよう。」 と思いました。

 父は、本当に母が大好きだったので、踏ん張ってはいるものの、どこか抜け殻のようで・・・。think dash
どのタイミングで、「母からのメッセージ」 を伝えたら良いものか? よくわからないまま、時間が過ぎてしまいました。 
実家での最終日、自動書記のコピーを可愛い箱に入れて、仏壇の横に置いて帰りました。
JRの中から、「お母さんのメッセージをプレゼントするね。」...と父にメールして、反応を待ちました。
 すると・・、ずいぶん時間が経って、やっと電話がかかってきました。父の声は涙でいっぱいで、
「 ありがとう...。ありがとう...。大切にするね...。」 と、何度も繰り返し、お礼を言っていました。shine

 父が受け止めてくれて、嬉しかった。heart02 
40年間、母の苦しむ姿を見て、「どうして、もっと幸せにしてあげられなかったのだろう?」...と後悔していたようです。
だから、私以上に、「母からのメッセージ」 を深く受け止めて、楽になれたことでしょう。

 ≪私と母のためのヒーリング≫だったはずが...
母は父ばかり心配していたので、「ちょっとズルイ!」 って思いました(笑)。
 9月にもう一度、母とのメモリアル・ヒーリングを約束しました。それまで、どれだけ自分が頑張れるかが問われます。 
次に母の魂を会う時まで、父を前進させとかないと、また怒られちゃう!頑張ります!
 そして、私も父同様に・・・≪母中心の人生≫が終わったので、≪ 自分のための人生≫を考えていこうと思います。shine
本当に幸せな時間を過ごすことが出来ました。川上先生、美樹先生、そして紹介してくれた友人に感謝しています。confidentheart04




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◆メモリアル・ソウルヒーリング◆ (亡父の魂との対話)可愛がってくれた父との再会!

                                   2014年11月2日 福岡市・ゆかりさん(主婦/女性・43才)

★6年前、私達の結婚式の日取りを義母の占いによって決められました。 その日は父の命日で、私がいくら拒否しても、「吉日だから大丈夫!」 と押し切られました。義父母からの挨拶もなく、父への配慮(席の用意など)もありませんでした。 
 私は、心の中でずっと、「この結婚は(生前の父親の性格上)、きっと反対されている。」...と思っていました。 結婚後もその思いは続き、何かにつけて口出ししてくる姑。 結婚生活に楽しみなどなく、生き甲斐をなくしていた時、美樹先生のホームページに出会いました。一目見て、「助けてもらえる!」と思い、すぐにチャネリングを受けました。
 チャネリングの内容は、「何でそんな事分かるの!」ということばかりでした。 その後、ヨガ・メンタルセラピー・ソウルヒーリングを受けるようになり、3カ月くらい経った頃、亡父の 『メモリアル・ヒーリング(亡くなった人の魂のヒーリング)』...を受けることになりました。
shine

≪メモリアル・ヒーリングを受けた感想≫
美樹先生が書き出した亡父の思いが...、父そのものの言葉使いや内容でした。生前父が、どんなに苦しくても頑張ってくれていた事、何よりも私たちが知らない 「父の本音」 が次々と語られた事に驚きました。 父の苦しみは、ヒーリングによって癒され、「楽になった」...と言ってくれて、本当に良かったです。
 ただやはり、「結婚式のことは無念」だと言っており、心に重く響きました。しかし、スーツ姿で同席した夫が、父に宛てた手紙を丁寧に読みながら、初めての挨拶をしてくれた事で、父は夫を「息子」と認めてくれて何より嬉しかったです。
 そして、父の魂を呼んで対話させて頂けた川上先生...、父の好物のお酒を沢山飲み、嗜好品も沢山食べ、思いを受けとめ私たちに伝えてくれた美樹先生には本当に感謝しています。亡くなって20年以上も苦しい思いをさせてしまっていた父に、ゆっくりと休んでもらい、楽になってほしいと思っていますhappy01heart02

≪メモリアル・ヒーリング後の変化≫ 
メモリアル・ヒーリングを受ける前は、私に胸から背中にかけて突き刺すような痛みがあったのですが、父の魂が癒されたためか、痛みがなくなってとても不思議です。shine

≪ 同席した夫の感想≫
結婚するまでの事...、また結婚してからの様々な事について、妻のお父様からひどく叱責されると思っていました。しかし、私を赦してくれて、息子として認めてもらえた事がとても嬉しかったです。
 また妻の母に関する悩みも相談し、良いアドバイスをもらえて安心しました。楽しい酒の席となり、「義父さんがいたら、こんなに楽しかったのか!」...と喜びを感じると共に寂しくもなりました。ずっと胸に閊えていた、しこりのようなものが取れて気持ちがとても楽になりました。shine




◆メモリアル・ソウルヒーリング◆ (亡母の魂との対話) 信頼する母が、「自由に生きなさい!」と背中を押してくれた!

                                   2014年7月16日 福岡県 ちいさん(事務職・女性・54歳)

★母が居なくなって11年...。いつも傍にいてくれて、後押ししてくれた母が亡くなり、私には本当に信頼できる人が居なくなりました。
夫はいても
心から信頼できるのは『母』 だけ...。

私なりに、「自立していこう!」と頑張ってきましたが、美樹先生のチャネリングを受ける度に、

『私の魂はまだ子供で、成長できていない。』.. と指摘されていました。

年はとっても、自分で決断し行動することが出来なかったので、やはり魂が成長していないのでしょう。『これからの人生...人を頼りすぎなくていいように、自立して魂を成長させたい!』 と願って、
美樹先生の
≪メンタル・セラピー≫や、 川上先生の≪ダイレクト・ソウルヒーリング≫ を受ける決心をしました。
その中で、私の心の拠り所だった、亡き母の≪メモリアル・ソウルヒーリング≫ もお願いしたのです。shine


≪メモリアル・ソウルヒーリングを受けて≫

まず驚いたのは、私への呼び名がそのままだったこと!
「あんた、あんた!」...といつも呼ばれていたのですが、美樹先生が自動書記した母の言葉も、「あんた、あんた!」...でした。coldsweats01sign01

また、"母の食べ物の好み"や、"口の開け方"まで、そのもの!
美樹先生は、「口が小さいから、ちょっとずつしか食べられない。」と書き、ゆっくりゆっくり食べていました。母もよく、同じことを言っていました。smile

母が亡くなる前...、「病気に悪いから」と、大好物の甘い物を食べさせなかったのですが、
母の魂に言わせると、「甘い物を取り上げられた!」 です。coldsweats01
余程辛かったのでしょう。sweat01
美樹先生が、(母の代わりに) 大好きなおはぎを、美味しそうに食べていました。

生前(私が幼かった頃)...の、"父に対する気持ち(辛さ・怒り)" も、ものすごく伝わってきました。
「生きている時に、母の気持ちを軽くしてあげれば良かった!」
「何かもっと、母を助けることができなかったのだろうか?」...と、後悔しました。sweat02

母は私に、「母親として、つまらんかった。」...と言いました。
でも私は、「娘として何もできなかった事」 を謝りたいですdespair

「大好きなお母さんの娘として、もう一度生まれて来たい!」...と伝えると、
母も「次も母娘で生まれて、楽しく暮らそう!」...と言ってくれました。
それを聞いて、とても心が安心しました。confident heart04

また...、母は躾に厳しく、
「人に迷惑をかけたらいかん!」と常々言っていました。
本当に厳しくて、若い頃の私は自由でなかったのです。 sad dash

母は、「死んでから、色んな事が分かった」...そうで
私に、「もっと自由に生きて欲しい。」 「自分らしく生きなさい。」 「自分のやりたい事をしなさい。」
「もっと人に甘えさない。」...と言ってくれました。
「お母さんの躾は間違っていた。みんな忘れて自由になりなさい。」...と。

「私がオロオロしたり、人の顔色を見ては疲れている事」...を、とても気にしていて、
「自分が厳しく躾たせい!」 と、反省していました。

厳しかった母に、「自由にしなさい!」...と言われると、
「本当に好きな事をしていいのだ! 自由にしていいのだ!」...と心が軽くなりました。note
「今まで縛りつけられて来たもの...(人の顔色みる事・気を使いすぎる事)を止めてしまおう!」...と思いました。

「自分らしく生きていい。」...と母が後押ししてくれたのですheart02

あれから、私は考え方や行動を変えて、自分の思いを少しずつ口に出して言えるようになりました
「今まで人に合わせてきた自分」 が、ウソのようです。
「もっと自分らしく生きて、魂を強くしていこう!」...と思います。shine
「自分をシッカリ持ち、良い年を重ねていこう!」...と。shine




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